「ばいばい。」
という文字を目にするのがつらくて、なかなか開けずにいました。

ヤマを越えて元気になるかも、と思っていた矢先の突然のお別れだったけれど、時間が経ってみると、ミロは時間と場所と状況を自分で決めて旅立ったように思えてならない。
夜、私たちが寝る支度を始めるといそいそと寝室に向かい、ベッドに上がって真ん中で寝るのが大好きだったミロ。

お留守番の時間も長いのに、ちゃんと私が一緒にいるときに、でもその瞬間を見せることなく、大好きな場所で眠ったまま旅立った。
なんていい子なんだろう。幸せな旅立ちだったと思えることで、どれだけ私を救ってくれただろう。
ミロってツンデレだとずっと思っていたけど、私はきっとミロにものすごく愛されていたんだな、と今はわかる。
そして、ミロは自分が旅立った後の私が、ものすごく心配だっただろうな、と。
毎日毎日、泣いて悲しんでばかりいるんじゃないか、と。

ミロのいない最初の1か月、ミロがいるものと思って現実逃避したりアルコールの力を借りて脱力したり仕事で気を紛らせたりしながら過ごした。
休日も暇で、家にいてもつらくて外出しても、ミロと一緒に行ったところだらけなので、ミロがいない!!!って胸が張り裂けそうになった。
満開の桜を見届けに公園に行って、ミローー!!と叫んで泣いた。
ミロの写真をたくさんプリントして、A3の額2枚に入れてリビングに飾った。
走る・笑う・海・桜・寝る…という生活だったなー。

つぎの1か月、ミロのことを可愛がってくれたお友達やスコッチ仲間と会って、少しずつそういう時間が楽しめるようになってきた。ミロが繋いでくれたご縁で大切なお友達ができたよ。ありがとね。
ミロが具合が悪いからと不義理をしていた集まりにも久しぶりに参加できた。
美しい景色や気持ちのよい晴天に、ああでもミロがいない世界なんだ…って突然悲しみに襲われたりした。
ミロと何度も歩いた葉山の海でも、同じ景色にミロだけがいないことが、こたえた。

そのつぎの1か月、少しずつ前に進むような心持ちになれるときもあり、そんな自分の変化が、こうやってミロの気配が薄れていってしまうのではと思えてつらくてたまらないときもあり、その中で、ミロが亡くなる5日前に横浜マラソンを走って以来の朝ランをぼちぼちと再開したり。
ミロが具合が悪いから行けない、と言っていた、日向でのタッチー父の十三回忌に、私も行くことができた。もう会えないかもと思っていた大好きなツカちゃん(タッチー父の姉)にも会えた。ミロありがとね。

そして今、ミロのフォトブックを作ろうと思い立ち、ミロが生まれてからの膨大な写真を今、見返しています。
若い頃のハッチャキなミロや、シニアになって落ち着いてからも、たくさん、いろんな場所に行って遊んだなあ。

ミロの笑顔を見ることで、フォトセラピーになっています。
ああでも、もう写真が増えることはないんだなあ。(メソメソ)

ミロが3歳のとき、公園でミロに「この子はいい目をしているね・・」と声をかけてくださった方に言われた言葉を思い出した。
「深く愛された犬は、100年、飼い主の傍を離れないんだよ。
だから、身体がその生を終えても、また出会えるように生まれ変わってきてくれるんだよ。」

今日で、ミロが旅立って3か月が経ちました。
来週、我が家に、ミロの妹がやってきます。
ミロと血のつながった、黒女子と、また新しい絆を編んでいきます。
ミロといっしょに。
私が笑顔でいることが、ミロの願いでもあると信じて。
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